戸塚祥太とその界隈のあれこれと

ピンクのお星様が輝くから

ロマンティックと寝盗られ宗介①

しんしんと心が痛いので書くことで少しでも癒えればいいな、という軽率な気持ちで書きます。
優しさが残酷さがなにが感情として正解なのかわからないから。少し整理、できればな、と。

戸塚さんの舞台は2014年の「出発」から観させてもらっています。今年で3年目、まだまだ新参者ですが、感じた事を綴っていきます。

この記事では「寝盗られ宗介」について、主に「ロマンティック」に関する事を書きたいと思います。

今回プレビュー公演含め全24公演、北千住から始まり大阪、福岡、愛知、そして東京と1ヶ月以上の時をかけて続いた「寝盗られ宗介」も本日2016年5月29日をもって幕が降りました。
3年目にして気付いたこと。
ニッキさん、スーパーリアリストなのかなーと。極度のリアリストは度を越したロマンティックに憧れると私は勝手に思い込んでいるのです。
間違っていたらごめんなさい。

でもね、リアリストとロマンティストは紙一重だと思うんです。
ロマンティックを肯定したいからリアルを見るんです。
本当にあるの?ロマンティックって真実なの?って色々考えたり突き詰めたり、時にサティスティックに相手をいたぶって、でもやっぱりロマンティックはあるよ、て肯定したいんです。
どう考えてもエゴです。しかも質の悪いエゴイストです。
だから、世の男はみんな質悪いんです(言い方)

女もロマンティックを見たいんです。
でも。
嘘でもいいんです、そのロマンティックは。
だけど。
男はロマンティックに裏付けが欲しいんです。
だから。
いたぶるんです。

「たとえ騙りであろうとも、一緒に死のうと言ってくれた言葉にこそ、女は真をみるのです」
劇中劇でお志摩さんが下剃り宗介に言った言葉です。
私はここで苦しいほど胸を掴まれました。
そうです。
嘘でいい、真実なんていらない、愛していると言って欲しい、残酷な真実より甘い嘘を囁いて欲しい。あなたの囁いた言葉になら、それがたとえ嘘とすぐわかる嘘でも、その言葉に拠り所を見出すのだから。女ってそういうものよ〜。

真っ直ぐとか誠実とか、実は女にとってはどうでもいいんです。
ただ傷付きたくないから。
愛しているなら嘘でいいから、柔らかな言葉で心地よくいたいだけなんです。

2016年版寝盗られ宗介の座長、北村宗介は10年間入籍せず、レイ子に3回堕胎させています。
「堕ろせって。お前と芝居がしたいからって」
これ。この言葉は。
レイ子にとって宗介の言葉は愛の指針だと思います。ただ傍にいたいから、宗介が好きだから、宗介がそうしたいと願っているから。
レイ子は女優になった。
たぶん、レイ子は女優になりたかったわけではないのだと思います。
普通のどこにでもいるような、そんな女で十分幸せだったんだと思うのです。
愛する男が芝居がしたいと言ったから、それだけでレイ子は芝居をしていて、なぜか才能があったのか一座の看板女優にまでなってしまいます。
すべては宗介一人のために。

レイ子は何度も絶望しては宗介に光を見出そうとしていた。
何度も何度も絶望して、絶望から目をそらせたくて男と逃げる。
宗介は待っている。
俺を愛しているなら戻ってくるよな、と試している。
試されている事をわかっていて、レイ子は逃げる。
だけど、何度も逃げようと思うのにやっぱり宗介に愛しているとわかって欲しくて戻ってくる。

「体は真っ黒だけど心は綺麗な女なんだ」
思い当たる節が多すぎてうぐっとなった宗介の台詞です。こんなん書いていいのかわかりませんが、正直、私自身、抱かれるくらいなら相当嫌な男でない限り可能です。
でもね、精神の処女性なら全然持ってます。
そして別にのべつくまなく誰彼かまわず、てわけでもありません。

女のロマンティックは少し自傷気味です。
男のロマンティックが加虐気味なのと対照かも知れません。
こんな私でも好き?愛してる?
と問いかけているとも言えます。
だからレイ子も自傷行為のように男と逃げるのだと思います。

なんだか長くなりそうです。
続きは気が向いたら。

それではまた、の機会がありましたら。